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宇治上神社
宇治川を挟んで平等院の対岸にあり、平安時代には平等院を鎮守していた隣接する宇治神社と併せて宇治離宮明神とよぱれていたが、明治時代に分離。祭神は、応神天皇、菟道稚郎子、仁徳天皇とされる。境内には本殿と拝殿があり、3つの社殿全体を覆屋で覆った構造の本殿は平安後期の造営で、現存最古の神社建築である。拝殿は鎌倉時代の寝殿造りの様式を残し、特に鎚破罵という手法を用いた屋根が美しい。
宇治上神社への交通アクセス
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2009年5月26日|
カテゴリー:日本の世界遺産
世界遺産マニアへようこそ
世界遺産マニアのホームページにようこそ。
世界遺産マニアでは、世界中に広がっている文化遺産、自然遺産、複合遺産、危機遺産といった世界遺産の情報を提供しているサイトです。
一覧で世界遺産を目にすることのできるようなサイトを目指しております。
お楽しみいただけたらと思います。
また、現在世界遺産の登録申請に向けて準備をしている地域などもご紹介していきます。
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2009年5月25日|
紀伊山地の霊場と参詣道
文化遺産/②③④⑥/2004年/日本
太平洋に大きく張り出した紀伊半島のほとんどは、「紀伊山地」とよばれる山岳地帯である。この紀伊山地には標高1000mを超える山々が連なり、古来より修験道の拠点である「吉野・大峯」、熊野信仰の拠点である「熊野三山」、そして空海が開祖の真言宗の根本道場である「高野山」の三大霊場が存在している。
この地が世界遺産に登録されたのは、これら多くの文化遺産が豊かな自然景観と一体となって残されている点と、日本固有の宗教形態のありかたをとどめた、世界に類を見ないものとして高い評価を受けたためである。
吉野・大峯
平安時代末に役行者を開祖に成立した修験道の聖地である。紀伊山地の最北部にあたり、金などの鉱物を産出する金峯山を中心とする「吉野」と、その南の山岳修行の場である「大峯」からなる。根本道場は山上ケ岳(1719m)の頂上にある金峯山寺で、本堂にあたる檜皮葺き屋根の蔵王堂は高さ約28mと、木造建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさである。本尊である金剛蔵王権現に神木として寄進されたサクラは現在3万本を超え、吉野山の桜として名高い。
熊野三山
熊野三山は紀伊山地の南東部に位置し、「熊野本宮大社」「熊野連玉大社」「熊野那智大社」3社の総称で、古来より熊野信仰の聖地である。それぞれの社は個別の起源をもつが、10世紀後半に本地垂追説にもとづき神仏混淆が進むと、3社は一体のものとして信仰を集めていった。本地垂迹とは、仏教の仏菩薩が日本古来の神の姿となって現れたという神仏習合の考え方である。
世界遺産には、このほか青岸渡寺、補陀洛山寺、那智大滝、那智原始林が含まれる。
高野山
高野山は吉野・大峯の西南西に位置する。弘法大師空海が816年(弘仁7)、標高800m、約3k㎡の山上の平地に建立した金剛峯寺を中心とした霊場で、真言密教の教義を諸堂や仏像で表現する日本初の本格的な密教佃藍である。空海人定後は奥の院が弘法大師信仰の聖地となり、現在も117の子院や塔頭が建ち並ぶ、山上の一大宗教都市となっている。
構成資産には金剛峯寺を中心とした数多くの建造物のほかに山麓にある丹生都比売神社、丹生官省符神社、慈尊院の2社1寺が含まれている。
参詣道
吉野・大峯、熊野三山、高野山の三大霊場を結ぶ道を参詣道といい、「大峯奥駈道」「熊野参詣道」「高野山町石道」に大別される。大峯奥駈道は吉野・大峯と熊野三山を結ぷ約170kmの道で、巌しく険しい修験道の修行の場であった。
熊野参詣道は熊野三山に参脂する道で、熊野古道ともよばれ、京都方面からの中辺路、熊野三山と高野山を結ぷ小辺路、海沿いを行く大辺路、伊勢神宮との間を結ぷ伊勢路からなる。高野山町石道は高野山麓の慈尊院から、弘法大師が眠る高野山奥の院まで、空海が開通させた参詣道である。
登録名称・交通アクセス
登録名称
Sacred Sies and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range
所在地
奈良県、三重県、和歌山県。
アクセス
金峯山寺へは、大坂・近鉄阿部野橋駅から特急電車で約1時問15分、吉野駅下車。そこからロープウェイ。熊野三山へは、JR新大阪駅から紀勢本線で紀伊田辺駅、細尹勝浦駅、新宮駅などで下車。そこからバスや車。金剛峯寺へは、大阪・南海電鉄なんば駅から特急電車で約1時問30分、極楽橋駅下車。ケープルカーに乗り換え高野山下車。そこからバス。
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2009年5月14日|
カテゴリー:日本の世界遺産
白川郷と五箇山の合掌造り集落
岐阜県の北部と富山県の南部にまたがる飛騨高地。日本が誇る世界遺産の白川郷と五箇山は、その険しい山間を流れる庄川沿いの段丘に形成された集落である。一帯はわが国有数の豪雪地帯で、外界との行き来が大変困難であった。そのため、戦後に電気や道路が整備されるまでは、昔ながらの社会制度や民俗、慣習が色濃く残され、独白の生活文化を育んできたのである。特に、合掌造りとよばれる独特の家屋と周囲の自然環境は、歴史的遺産として後世に伝えるにふさわしい美しさを保つ。
合掌造り
白川郷の集落にある有名な「合掌造り」とは、2本の材木を逆V字形に組み合わせてつくる叉首構造で、切妻造り、茅葺き屋根の家屋をいう。まさに合掌しているように見えることからこの名でよばれるようになった。 60度もの急勾配をもつ屋根の傾斜は、雪を滑り落ちやすくし、雨水をすばやく流し、太陽熱で効率的に屋根を乾燥させて屋根材の茅を腐らせないための工夫である。釘は1本も使わず、太い柱と大小の丸太材の組み合わせでつくられて
いる。各集落には、汪戸時代から続く「組」とよばれる互助組織があり、30~50年に1度行われる屋根の葺き替えは「結」とよばれるこの組の互助作業によって行われる。
合掌造りの家は、一般の日本家屋に比べて規模が大きい。
内部には2~3層の空間が設けられ、そこに20~30人の大家族が住む。大きな三角形の合掌造りは、屋内空間を最大眼に生かす山村生活の知恵なのである。白川郷や五箇山の人々は、厳しい自然条件の下で協力して田畑を耕し、窓のつくられた屋根裏に蚕を飼い、絹糸を得てきたのである。
白川郷と五箇山の合掌造り集落の歴史
白川郷、五箇山というのは江戸時代以前からの呼び名で、現在では岐阜県白川村の「荻町」、富山県南砺市の「相倉」「菅沼」である。白川郷には平安時代末期、平家の落人が住み着いたという伝説が残り、鎌倉時代に浄土真宗の道場も開かれたという古い歴史がある。また、五箇山という地名は庄川本流に沿う赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷と支流の利賀谷の5地域からなることに由来し、古来より平家の落人集落ともいわれてきた。
19世紀末までは、数多くあった合掌造りの家屋であったが、1930~60年代に多くのダムが建設され、いくつもの集落が水没した。特に御母衣ダムが完成した1961年(昭和36)には、白川郷の荘川村の4地区が水底に沈み、多くの合掌造りの家屋が失われていった。戦後すぐには300以上あった合掌造りは、わずか20数年で半分近くに減少してしまったのである。
しかし、1970年代に本格化した保存活動によって、荻町には59棟の合掌造り家屋が残り、1995年(平成7)に相倉集落の20棟、菅沼集落の9棟とともに世界遺産に登録された。
登録名称・交通アクセス
登録名称
Historic villages of Shirakawa - go and Gokayama
所在地
岐阜県大野郡白川村。富山県南砺市相倉、菅沼。
アクセス
JR高山本線高山駅からバスで白川郷まで約1時間40分、JR北陸本線高岡駅からバスで五箇山まで約1時問40分。
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2009年5月14日|
カテゴリー:日本の世界遺産
日光の社寺
文化遺産/1999年/日本
日本の世界遺産の中で文化遺産に位置している日光は男体山など標高2000m級の山々が連なり、古くから神仏習合の聖地で霊場であった。開山は奈良時代後期の766年(天平神護2)で、勝道上人による。以来1200年以上の歴史をもち、江戸時代には初代将軍徳川家康を祀る東照宮が建てられ、代々の将軍や全国の藩主による参拝や、朝廷からの例幣使の派遣などが行われ、江戸暮府の幕藩体制を支える重要な役割を果たしていた。
世界遺産における「日光の社寺」とは、日光山内にある東照宮、二荒山神社、輪王寺の2社1寺の建造物群及ぴ、これらの建造物を取り巻く自然環境をいう。面積は約51万㎡で、周囲には約3.7k㎡の緩衝地域も設けられている。
東照宮
日光の社寺(世界遺産)の中にある現在の東照宮は徳川家康を祀るために、1617年(元和3)に2代将軍秀忠によって造営された社殿を、1636年(寛永13)に3代将軍家光が建て替えたもので、創建当初の社殿はとても質素なものだったとされる。現在の絢爛豪華な社殿は巨樹老木を残すなど、自然の地形を利用して全体の調和をはかる工夫がなされており、「日光を見ずして結構というなかれ」、という当時の人々の礼賛の言葉が残る。
社殿の材料や構造の耐久性などにも、当時の最高の技術が取り入れられたという。本殿や石の間、拝殿、陽明門など国宝や重要文化財合わせて42棟が世界遺産に登録され、特に陽明門は龍、唐獅子、鳥、牡丹など508体の色鮮やかな彫刻で埋め尽くされ、金箔もふんだんに使われた建築美術の粋といえよう。
輸王寺
輪王寺は、日光開山の祖である勝道上人が766年に創建した四本龍寺を起源とし、1653年(承応2)に3代将軍家光の霊廟である、大猷院が造営された。東照官の威光をさまたげないようにという家光の意向で、東照宮よりも小規模で、金と黒を基調に細部の装飾も簡素に建てられたが、目立たない部分には技巧が凝らされている。また、本堂の三仏堂は東日本最大の木造建築物である。
1868年(明治1)に神仏分離令が出され、本来一体であった日光山内は東照宮、二荒山神社、輪王寺の2社1寺に分かれた。輪王寺所有の建物のうち世界遺産に登録されているのは、三仏堂周辺や大猷院周辺の建造物、四本龍寺の観音堂、三重塔など計38棟である。
二荒山神社
二荒山神社は767年(神謹景雲1)に勝道上人が、大己貴命と田心姫命、味すき高彦根命の3神を二荒山麓に祀ったのが起源である。790年〔延暦9〕には本宮神社が建てられて、山岳信仰の拠点となった。
東囲宮の西に位置する本社のほか、男体山頂には奥宮、中禅寺湖畔には中宮祠があり、その神域は日光連山を含め34k㎡に及ぶ広大なものである。
東照宮創建後は、地主神として幕府の手厚い庇護を受けた。ハ棟造りとよばれる建築様式の本殿など、現在の建物は1619年(元和5)に建て替えられたもので、日光山内最古の建造物である。
朱塗りの神橋をはじめ23棟の建造物が世界遺産に登録されている。
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2009年5月12日|
カテゴリー:日本の世界遺産
文化遺産と登録基準
文化遺産
記念物...建築物、記念的意義を有する彫刻及び絵画、考古学的な性質の物件及び構造物、金石文、洞穴住居並びにこれらの物件の組み合わせであって、歴史上、芸術上または学術上顕著な普遍的価値を有するもの。
遺跡‥‥人間の作品、白然と人間との共同作品及び考古学的遺跡を含む区域であって、歴史上、芸術上、民族学上または人類学上顕著な普遍的価値を有するもの。
①世界遺産は人間の創造的才能を表す傑作である。
②建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影 響を与えた、ある期間にわたる価値感の交流またはある文化圈内で の価値観の交流を示すものである。
③現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統または文 明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在) である。
④歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の 集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
⑤あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的 居住形態もしくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見 本である。または、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本 である(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)。
⑥顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、 芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある にの基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい
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2009年4月30日|
カテゴリー:世界遺産の基本

