白川郷と五箇山の合掌造り集落
岐阜県の北部と富山県の南部にまたがる飛騨高地。日本が誇る世界遺産の白川郷と五箇山は、その険しい山間を流れる庄川沿いの段丘に形成された集落である。一帯はわが国有数の豪雪地帯で、外界との行き来が大変困難であった。そのため、戦後に電気や道路が整備されるまでは、昔ながらの社会制度や民俗、慣習が色濃く残され、独白の生活文化を育んできたのである。特に、合掌造りとよばれる独特の家屋と周囲の自然環境は、歴史的遺産として後世に伝えるにふさわしい美しさを保つ。
合掌造り
白川郷の集落にある有名な「合掌造り」とは、2本の材木を逆V字形に組み合わせてつくる叉首構造で、切妻造り、茅葺き屋根の家屋をいう。まさに合掌しているように見えることからこの名でよばれるようになった。 60度もの急勾配をもつ屋根の傾斜は、雪を滑り落ちやすくし、雨水をすばやく流し、太陽熱で効率的に屋根を乾燥させて屋根材の茅を腐らせないための工夫である。釘は1本も使わず、太い柱と大小の丸太材の組み合わせでつくられて
いる。各集落には、汪戸時代から続く「組」とよばれる互助組織があり、30~50年に1度行われる屋根の葺き替えは「結」とよばれるこの組の互助作業によって行われる。
合掌造りの家は、一般の日本家屋に比べて規模が大きい。
内部には2~3層の空間が設けられ、そこに20~30人の大家族が住む。大きな三角形の合掌造りは、屋内空間を最大眼に生かす山村生活の知恵なのである。白川郷や五箇山の人々は、厳しい自然条件の下で協力して田畑を耕し、窓のつくられた屋根裏に蚕を飼い、絹糸を得てきたのである。
白川郷と五箇山の合掌造り集落の歴史
白川郷、五箇山というのは江戸時代以前からの呼び名で、現在では岐阜県白川村の「荻町」、富山県南砺市の「相倉」「菅沼」である。白川郷には平安時代末期、平家の落人が住み着いたという伝説が残り、鎌倉時代に浄土真宗の道場も開かれたという古い歴史がある。また、五箇山という地名は庄川本流に沿う赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷と支流の利賀谷の5地域からなることに由来し、古来より平家の落人集落ともいわれてきた。
19世紀末までは、数多くあった合掌造りの家屋であったが、1930~60年代に多くのダムが建設され、いくつもの集落が水没した。特に御母衣ダムが完成した1961年(昭和36)には、白川郷の荘川村の4地区が水底に沈み、多くの合掌造りの家屋が失われていった。戦後すぐには300以上あった合掌造りは、わずか20数年で半分近くに減少してしまったのである。
しかし、1970年代に本格化した保存活動によって、荻町には59棟の合掌造り家屋が残り、1995年(平成7)に相倉集落の20棟、菅沼集落の9棟とともに世界遺産に登録された。
登録名称・交通アクセス
登録名称
Historic villages of Shirakawa - go and Gokayama
所在地
岐阜県大野郡白川村。富山県南砺市相倉、菅沼。
アクセス
JR高山本線高山駅からバスで白川郷まで約1時間40分、JR北陸本線高岡駅からバスで五箇山まで約1時問40分。
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2009年5月14日|
カテゴリー:日本の世界遺産

