石見銀山遺跡とその文化的景観
世界遺産に登録されている石見銀山遺跡とその文化的景観は文化遺産/②③⑤/2007年/日本
島根県のほぽ中央、大田市大森町を中心に分布する石見銀山遺跡は、
①銀鉱山跡と鉱山町
②銀山街道
③銀の積み出し
世界遺産に登録されているその場所は港と港町からなり、その面積は4.42k㎡(東京ドーム95個分)に及ぶ。なかでも銀が生産されていた銀鉱山と鉱山町大森の町並みは、石見銀山の歴史と人々の生活を、時を経た今も鮮やかに伝えている。世界が注目した銀の島『日本』
石見銀山の開発は、1527年(大永7)、博多の豪商神屋寿禎によって本格的に始められた。 1533年(天文2)、寿禎が導入した朝鮮伝来の新しい銀の精練技術「灰吹法」は、銀の飛躍的な増産をもたらし、日本のシルバーラッシュを実現する。
当時の日本は、群雄割拠の戦国時代出雲(島根県)の尼子氏、安芸(広島県)の毛利氏、周防(山口県)の大内氏が莫大な軍資金を得るために、宝の山「石見銀山」の争奪戦を繰り広げていた。矢滝城や石見城、山吹城などの山城は、釧山争奪のために築かれた城である。
1590年(天正18)には豊臣秀吉が天下を統一。秀吉は3大名の争いに勝利をおさめた毛利氏から、
莫大な運上銀をおさめさせていた。
日木にキリスト教を伝えた宣教師のフランシスコ・ザピエルは、1552年C天文21)、奏箇のなかで、日本を「銀の島」と紹介している。また、1568年【永禄11】にポルトガルで製作された日本地図は、石見(島根県大田市)の位置にポルトガル語で「銀鉱山王国」と記している。「灰吹法」の導入によって、世界も認める産銀国に成長した日本は、16世紀後半-17世紀初めにかけて海外に多量の石見銀を輸出しアジアとヨーロッパ諸国を貿易で結ぶ原動力となっていくのである。
世界遺産で培われたされた最高峰の頭脳と技術
1600年(慶長5)、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、石見銀山を幕府の主要財源とするため直轄地とし、技術導人をはかる。鉱山は、鉱物資源が豊富なだけでは開発できない。
地中深く掘るには、高度な知識と技術が不可欠だった。
たとえば鉱床の発見には、地質学や本草学が必要とされたし、採鉱には測量学、製錬には化学など、多岐にわたる学問が求められた。さらに、各種の土木技術をはじめ、排水を浪み上げる水揚げポンプ、換気に用いる唐箕など、優れた技術が開発を支えた。その結果、石見銀山の年間産出量は1万貫(約38t)に及び、日本は世界の産出銀の3分の1を占めるに至った。
だが、17世紀後半には産出量が激減、明治期に銅を主体として再開発されたが、1923年(大正12)ついに閉山する。鉱山としての石見銀山は幕を下ろしたが、往時の姿をそのままとどめる産業遺産は今、世界遺産として覚醒したのである。
銀山柵内
かつて鉱山町は、柵で回まれていた。徳川幕府が、直轄地としての支配体制を確立するため、棚を設けて出入りする人や物資などすべてを管理していたためである。
日本の世界遺産である石見銀山棚内は、当時の銀生産の現場であり、中心地でもあった。現在も石見銀山遺跡の中核を担っており、ここには16~20世紀に至る銀の生産活動をはじめ、生活や流通、信仰にまつわる遣跡や遺物が、ほぱ完全な形で残されている。
「間歩」とよばれる坑道もそのひとつ。
世界遺産の石見銀山の山中には600か所ほどの坑口が確認され、隣接した平坦な地には、製錬までの作業と生活が営まれた職住一体の空間が広がっていたという。
石見銀山の最盛期の人口は、「銀山旧記」によると20万。17世紀半ぱの江戸の人口が約30万だから、その規模の大きさには驚かされる。
大森銀山重要伝統的建造物群保存地区
石見銀山に隣接する大森は、銀山の隆盛によって形成された鉱山町。江戸時代初め、2代目奉行竹村丹後守が建設にとりかかり、代官所を現在の地に移したことを機に、政治経済の中心として発展していった。
川沿いの谷間に連なる全長2.8kmの町並みは、代官所をはじめ武家屋敷、町家、社寺などが混在し、変化に富んだ景観を見せる。なかでも一般公開されている熊谷家の建物は、豪商の地位や富裕層の生活を語ってくれる。大森は江戸の名残をとどめる町として、ふたたび注目を集めている。
銀山街道
世界遺産である石見銀山と積み出し港とを結ぶ街道を「銀山街道」といい銀や銀鉱石、諸物資の輸送に利用された。
銀山街道には、鞆ヶ浦港に至る全長7kmの「鞆ヶ浦道」と沖泊港に至る全長12㎞の「温泉津沖泊道」のふたつがある。鞆ヶ浦道は、銀山柵内から日本海に出る最短の搬出路として知られ、温泉津沖泊道には、石畳や土橋、石仏などが残る。
鞆ヶ裏、沖泊、温泉津
鞆ヶ浦は、16世紀前半から中頃、銀や銀鉱石を九州の博多に積み出した港で、中世の港をしのばせる。天然の良港である沖泊は、毛利氏が石見銀山を支配した16世紀後半、銀の輸送や物資の補給、軍事基地として機能した。
銀山の外港として発展した温泉町が温泉津。全長800mの町並みは、江戸時代前期の配置とほとんど変わらない。
石見銀山遺跡とその文化的景観への交通アクセス
タグ
2009年5月 8日|
カテゴリー:日本の世界遺産

